巨大クレーン

さりげなく通っていた国道脇に佇んでいた建造物。
いや昨日は無かった。よく見ると今朝、クレーン車がブームを延ばしていた。
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何じゃ?こりや?。
調べたら「LIEBHERR(リープヘル)社(ドイツ)」のオールテレーンクレーンらしい。
車軸がなんと9軸もある(内5軸が操舵するらしい)
全長19.9m、全高4.0m(ブームは除く。道交法3.8mを超える)、全幅3.0m。
しかも左HD、最高速度75km/h。
ブームは様々な仕様があるらしいが、MAX100m。更に能力は550t 何もかも巨大!
風力発電建設等で活躍してるらしい。
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どこから来たのかわからないが陸送してきたの? 全長19.9mじゃ曲がるのも大変でしょう?
全幅3.0mもあるんでヘッドライト(HID?)の小さい事
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そして62cm(観測史上初めて)

金曜は出張に出て、その昼すぎから雪が降り始めてきた。
在来線での帰還は途中で止まる可能性もある事から新幹線にした。
しかしこれが失敗で、駅直前でポイント故障とやらで30分近くも止まりやがった。
これなら在来線と変わらず金だけ取られた感じ。
駅前駐車から積もりつつ雪道をおそるおそるスロースピードで帰宅し、早々に寝た。
朝起きて、その量に驚愕!
先週に続いての大雪だが、そのボリュームは明らかに違う。
しかも雨が降っていやがる。
笠を被り、バイク用の合羽を着て取りあえずサンバー号の周辺を雪掻きした。
そしてチェーンを巻き出動体制を整えた。
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土曜日は近所の雪掻きを隣組でガンガンやったが、先週と違い、その重い雪に苦戦した。
ガレージが潰れたり屋根が落ちたり秩父では93cmも積もり、小鹿野や浦山、中津川地区等は物資が運べず孤立集落が出来てしまったようだ。
日曜日は深谷にどうして行かなくてはならず、普段35分で行ける筈なのに、なんと5時間もかかってしまった。その原因は除雪されていない事。交差点では除雪されていない事に加え凍りついた道路の凸凹に立ち往生する車があった事による。
サンバー号はスタッドレスをはいているもののリアドライブそして車重の軽さからチェーンを装着しないと歯が立たない。
これは国道17号下り線を走っている。下りは轍が溶けていてスムーズに走れるが、上り線は轍の位置に雪が塊になって留まっており、大型もその上をトレースして来る。その姿はキャビンのサスの動きがよくわかり、荷台が上下左右に揺れ、迫力満点。よく見るとチェーンは巻いていない。スノーだかスタッドレスかはわからないが、ドライバーも緊張の面持ちで転がしているように見えた。
雪国でないこちらは除雪機器も持ってないし、遅れるのはわかるが、主要幹線だけは早急に除雪してもらいたいもんだ。
17号とBPは渋滞でほとんど動かないとラジオから流れていた。
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60年振りの大雪(43cm)

朝起きてびっくり!
昨晩よりちらほら降っていたが、まさかこんなに積もるとは! もう庭一杯の雪!
気象台によると60年振りに43cmを記録したとか。
それじゃ生まれてないもんね。昼から通りに出るための道を雪かきを始めた。
以外にさらさら雪で軽く、道路確保もさほど苦にならなかった。
ここの隣組は団結力があるようで、裏の道もあっという間に人力で開通させたのだった。
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心配だったのは同じく60年近くたつ我が家と赤松だった。
こんな経験をしたのは初めてだろうし、歳もとっているからね。
幸い、どこにも被害はなく、平地にいながら雪国体験が出来、貴重な週末であった。
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雪中?キャンプ

恒例の冬キャンプ。
年明けから「どこに行くか?」なんて会話が3人の間で出始め、仕事に負担のかからない日として2月1日の土曜、2日の日曜で決まった。
いつものように朝早く出るため俺んちで前泊し、5:00目標に飲んだ。
これが失敗! かなり盛り上がり、皆が起き出したのは7:00と遅れてしまった。
関越はスキー客で混雑、藤岡JCTで上信越に入りなぜか日本海を目指す。
妙高付近でも沿道にほとんど雪が無く、年明けの雪の少なさは想定外だった。
途中、信越本線のスイッチバックがある「二本木駅」に立ち寄る。
初めて見たスイッチバックは非常に面白い。本線から枝線に入り駅に到着、人を乗せるとバックしてまた本線に戻り、進行方向へと進む。相当な傾斜地に駅を設定する場合、そこは平坦地でなくてはならないので、こんな方式になるんだと改めて感じた。
また「二本木駅」は駅舎や跨線橋(いや線路を潜って渡る)が古い作りで、ノスタルジーに惹かれる魅力があった。
その後、上越JCTで北陸道に入り、米山にある”日本一海に近い駅「青海川」”に寄り、懐かしの赤い「大橋」を眺めた。
昼は、小出でお薦めのラーメンをすすり、大型スーパーで宴会の買い出しをして、結局、土樽の東京発電の脇を天場とした。
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毎回、備品(テント、ストーブ、ランタン、小物に至るまで、車も)でお世話になっている高さん。
料理やコース設定(地元解説も)、ムードメーカーの松さん。
今回も寝袋しか用意しませんでした(笑)。コッヘルも借りてます。
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寒い中での刺身も良いもんです。因みに日本酒も冷やです。
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翌日、いつもの尻焼後、吾妻線枝線の廃線跡へ。
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1945年、長野原駅~太子(おおし)駅間は群馬鉄山の鉄鉱石を運搬するために、日本鋼管会社専用線として開業。
1952年には国鉄に編入され、貨物扱いだけであったが1954年には旅客営業を開始した。
しかし、1970年11月には営業を休止し、1971年5月に営業を廃止した。
野反湖への道から外れ旧道をほどなく走ると、駅の跡が民家の間に現れる。貨車に積込む為のホッパーがそのまま。
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対岸の山林に当時のトンネルを探してみた。谷深い白砂川を渡らないと行けない。
必ず行くぜ!
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