恒例の冬キャンプ。
年明けから「どこに行くか?」なんて会話が3人の間で出始め、仕事に負担のかからない日として2月1日の土曜、2日の日曜で決まった。
いつものように朝早く出るため俺んちで前泊し、5:00目標に飲んだ。
これが失敗! かなり盛り上がり、皆が起き出したのは7:00と遅れてしまった。
関越はスキー客で混雑、藤岡JCTで上信越に入りなぜか日本海を目指す。
妙高付近でも沿道にほとんど雪が無く、年明けの雪の少なさは想定外だった。
途中、信越本線のスイッチバックがある「二本木駅」に立ち寄る。
初めて見たスイッチバックは非常に面白い。本線から枝線に入り駅に到着、人を乗せるとバックしてまた本線に戻り、進行方向へと進む。相当な傾斜地に駅を設定する場合、そこは平坦地でなくてはならないので、こんな方式になるんだと改めて感じた。
また「二本木駅」は駅舎や跨線橋(いや線路を潜って渡る)が古い作りで、ノスタルジーに惹かれる魅力があった。
その後、上越JCTで北陸道に入り、米山にある”日本一海に近い駅「青海川」”に寄り、懐かしの赤い「大橋」を眺めた。
昼は、小出でお薦めのラーメンをすすり、大型スーパーで宴会の買い出しをして、結局、土樽の東京発電の脇を天場とした。
毎回、備品(テント、ストーブ、ランタン、小物に至るまで、車も)でお世話になっている高さん。
料理やコース設定(地元解説も)、ムードメーカーの松さん。
今回も寝袋しか用意しませんでした(笑)。コッヘルも借りてます。
寒い中での刺身も良いもんです。因みに日本酒も冷やです。
翌日、いつもの尻焼後、吾妻線枝線の廃線跡へ。
1945年、長野原駅~太子(おおし)駅間は群馬鉄山の鉄鉱石を運搬するために、日本鋼管会社専用線として開業。
1952年には国鉄に編入され、貨物扱いだけであったが1954年には旅客営業を開始した。
しかし、1970年11月には営業を休止し、1971年5月に営業を廃止した。
野反湖への道から外れ旧道をほどなく走ると、駅の跡が民家の間に現れる。貨車に積込む為のホッパーがそのまま。
対岸の山林に当時のトンネルを探してみた。谷深い白砂川を渡らないと行けない。
必ず行くぜ!