サンバー2号お疲れ! そして3号宜しく!

平成18年式 新車で購入した スバルサンバーバンディアス 5MT 2WD(型式LE-TV1)
9年5ヶ月の間、お疲れさまでした。サンバーはKV3に次いで2台目だったが、大したトラブルも無く、多くの楽しい思い出を作ってくれた。
特にトラブルは無かったが軽トレーラが引けない(牽引車での能力が無い?)との事で、思い切って、登録可能なグレードにアップする事を決めた。
富士重のサンバーはダイハツのOEM車に代わり、乗る気はサラサラない。足元が狭いのが一番の欠点。フルキャブ構造、RR駆動、そしてスムーズな4発エンジン、狙うはABS付きの最終型のサンバーだ。ネットを検索すると早々に、走行距離2万キロあまりの平成23年式が見つかった。
写真で見る限り綺麗な感じ。お店(ホンダのディーラー)と電話で何度か話し、早速決めた。
頭金無しの48回払いだ。
そしてサンバー3号が待っている仙台へと向かった。
朝4:00に出発し下道で向かう。R4で白河まで走り、そこから先は同行してくれた高さんが持参したタブレットのナビによる早道指示に従って、県道、町道を縦横無尽に北上を続けた。
紙の地図だけでは絶対知り得ない地元道がほとんど。
県道31で仙台入り。何とかお昼までに到着。
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昼飯はディーラー近くのコンビニで・・・
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サンバー2号は仙台まで問題無く走り、オドメーターは162,900kmを指していた。
夏休み中に装備を出来るだけ外し、ノーマル状態になったサンバーはちょっとまぬけ顔だったけど、良く働いてくれました。数々の装備は、3号に引き継いでいきますよ。
帰りは高速に乗り18:30に無事到着。サンバー3号(型式EBD-TV2)、当然5MTです。
リゲイン高さん、ありがとう!
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これから、自分好みにいじらせて頂きまっせぇ~。
翌日には2代引き継いでるブラックホイールを履かせちゃった!

ぶどう豊作!

3年しか経っていないのに、グングン延びて今年多くの実を付けてくれた。
葉っぱには「虫こぶ」が出来ているが食べる分には問題ないらしい。
去年は実が色づき始めた頃、鳥の餌になっていたので、今年は「寒冷紗」で簡単に囲う事にした。
これで万全到底1人じゃ食いきらないので、仲間が来た時のデザート、いつもお裾分けをしてくれる両隣、親戚に分けまくった。味は、甘くてスーパーで売ってるデラウエアと変わらない。
冷蔵庫で冷やすとなお旨い!。
来年は種なしの処理をしてみよぉと・・・
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野外カテゴリーの記事

レインボーブリッジ

夏休み明け早々に、夜間パトロールで、また横浜に来た。
いつもは会社の車で移動するので、高速乗り放題と快適だったが休み明けという事もあり、今回は我がサンバー号で下道をとことこ走った。横浜 生麦から大黒埠頭、そして本牧埠頭へと行くのだが、レインボーブリッジが2層だった事を今回初めて知った。R357が高速の下側を走っている。橋から見る横浜の街や埠頭の景色は高速と変わらず望める。
田舎者の俺にとって新発見だった。
朝5:00に仕事終了、帰路についた。

奥志賀 まったり夏キャンプ

仕事が忙しい松さんとは、当日朝4:00に合流し、前泊していた高さんの愛車で酷暑の夏、涼しさを求めて4:30何処に出発!。
行く宛ては無い。でも北へ向かう事は3人周知の上、まずは関越道に乗る。
サラリーマンの夏休み初日、故に結構な交通量だ。取りあえず国境を越え、土樽で小休憩。
冬とは違い車の多い事。日頃の行いが良いせいか?雲ひとつ無い晴天(酷暑か?)
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津南に入り、どこに行こうかと迷うが、昔キャンプした大厳寺(だいごんじ)を目指す。
途中のR405は国道ながら極めて細く対向車とのすれ違いも難しい道。
なんで国道登録されたのか?。地元のR407とはえらい違い!
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ここ「雁が峰峠」一体はブナと杉の混在林ようで、それぞれ一生懸命生きている息吹が感じられる。「猿の腰掛け」発見!
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松之山へ少し下った所に出現した「棚田」(松さん撮影)
日本の原風景。癒やされます!。手入れがされており地元愛を感じる。
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後に気付いたが、29年前に俺がバイクで林道無宿した時、ここを通り、全く同じ場所で同じ風景を撮影していた(笑)
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大厳寺高原からR117へ下る途中に通るブナ林。
ちょうど、太陽光が木々の間に差し込み「御光」のように輝いていた。合掌!
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津南から県道507を秋山郷に向かう山道での出来事。
途中駐車し、写真撮影している最中に、横を飛ばして走る「なにわ」ナンバーのワンボックス。
時間差で出発したが、前を走るワンボックスの飛ばす事飛ばす事・・。
ブラインドの先にあるコーナーに差し掛かった際、そのワンボックスが道幅一杯に停車していた。
「なんだ?何かあった?」視線を右に逸らすと、”お尻丸出しの中年おやじ”が・・・絶句!
そう! なにわの親父は道端の用水路で用をたそうとしていた(水洗便所かよ!)
我々の視線を感じたのか、そそくさとズボンを上げ、バツの悪そうな面持ちで視線を逸らした。
状況は理解出来る! 我々にも同じ経験はある。
しかし・・・用水路を利用するとは? 驚きです!
そんな”おもろい事”状況を3人で爆笑しながら、13年振りに「カヤの平高原」へ。
一番端っこに陣取り、天泊の準備。
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途中で、太公望ふたりがGETした岩魚。その数8尾!
釣れてから津南のコメリで急遽調達したコンロと備長炭で「炭焼き」に・・・
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頭と尾びれに「飾り塩(粗塩)」を振りかけ、身には「あじ塩」
ほどよく焼けたところで頬張る。身が締まって沢山あり本当に旨い!
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身をすっかりゴチになり、骨や頭は再びコンロ上で焼く。
調達した日本酒(熱燗にして)で “骨酒” にし無駄なく頂きまぁ~す!
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高さんは運転疲れのせいか早く就寝し、俺と松さんで深夜遅くまで飲み明かした。
豚肉ステーキを頂いちゃいましたよ。
そして・・・朝を迎える。気温は18℃。
ガスっていて景色が確認出来ないが、えらく気持ちいい。下界と10℃前後違う?
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カップ麺の朝食を済ませ7:00には出発。渋峠を経由し、毛無峠に向かう。
ここは分水嶺でもあり小串硫黄鉱山跡でも有名。お疲れの松さんは峠頂上に残り、俺と高さんで鉱山跡までハイキングをする事とした。
片道1時間ちょっとの行程である。
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昭和4年から46年まで稼働していた小串硫黄鉱山。
昭和12年には大規模な土砂崩れで245名の住民が亡くなったが、最盛期にはこの盆地地帯に2,100名もの人々が生活をされていた。幼稚園、小学校、中学校、診療所、スーパーマーケット等生活が十分出来るほどの街がここにあった。生活水準は麓の須坂に住むサラリーマンの2~3倍の給与を貰っていただけにかなり高かったと言われている。
テレビは長野県でもかなり早い普及だったらしい。
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小串小中学校跡にあった「回旋塔」。一番下の階層にある。
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当時のいすゞエルフ。まだこの顔は覚えている。
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これが「硫黄」か?。風雪に晒された土壌に散乱している。
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2時間駐在、復路はジロー坂を1時間半かけ毛無峠へ。
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栄家繁栄を垣間見る事が出来る小串硫黄鉱山。まもなく冬を迎える。
陸の孤島と言われた場所。標高1,650mだから。
メインイベントが終わった後は須坂ICから乗り、下仁田で、例のソースかつ丼+昔ながらのラーメンをたらふく食い帰還した。