会津・奥只見紀行

雨に祟られたツーのリベンジという事で、急遽決まった会津紀行。今秋蘇る只見線からスタートです
でも、やっぱり雨だった(泣)しかしながら今回は四輪ですから気ままです(笑)
上条駅舎内に掲示されていたポスター。なんかイイよねぇ~沿線ぐるみで残す気持ちが。
六十里越えして辿り着いた田子倉湖。晴天も勿論イイけど、こんな感じも絵になる(四輪の余裕か?)
しばらく眺めていると、日が射してきた。湖底にはマタギの田子倉集落が沈んでいる。
堤高145mもあり、奥只見ダム(157m)に次ぐ高さを誇る。圧巻です!
プリプリ君、今回はお世話になりますよ。予定の2泊はテン泊なのでリアの荷室は荷物満載です。
只見駅には全線運転再開へのカウントダウンが設置され、只見線沿線の歓迎ムードが伝わってくる。
只見町で有名なお店のチャーシュー麺。申し訳ないですけど、チョット残しちゃいました。入りません
只見町叶津にある番所跡(旧長谷部家住宅)。会津と越後を結ぶ八十里越の関所で約300年前に築
一般の民家と違い、幕府や会津藩の役人のための上段の間や奥座敷が設けてあり、かなり大きな構造
規模の大きい上層家屋。内部は高い天井や隠し部屋もある。何度か増改築を繰り返しているようだ。
凝った細工の建具。当然、木組みされているけどデザインが素晴らしい!
いつも思うけど、昔の人は手先が器用で感心する。チョットした遊び心も取り入れてるし凄い!
例によって歪んだガラスを使った戸。ここから見える景色も味があるねぇ~
床の間の違い棚は、間の巾があるので大型なモノになっている。どんな風に取り付けてあるのかな。
柄杓もすごい! すべて竹で出来ているけど柄の付け方が秀悦。かなり古いモノだろうけど現役。
ガイドさんが我々2人のために、囲炉裏に火を焚いてくれた。その手際の良さに見とれた。
松さんが座ってる位置が主人の場所だという。自在鉤に吊るされた鉄瓶に、いい塩梅に火が当たってる
番所跡の裏に旧五十嵐家住宅がある。こちらも築300年ほど経っているという。こちらは本百姓の家屋
茅葺屋根には苔が一面を覆っていて、その緑色が年月を物語っている。
やたら広い土間。ここの竈で飯を炊いて、囲炉裏のある居間で食べる。その後は野良作業なんだね。
途中、思い立ったように寄った会津蒲生駅。数分経つと踏切が鳴り出し、来るはずのない列車が。。。
そう、10月の再開通に向けての試運転列車が来たのです。松さんはかなり興奮していたねぇ~
そりゃそうだいなぁ~ 遭遇するなんて夢にも思ってなく、しかも駅に立ち寄ってまもなくだったから
ここを列車が走るのは11年振り。2011年7月の新潟・福島豪雨で会津川口ー只見間27.6kmが不通に。
その日は、沼沢湖でテン泊とした。地元民が多く、子供達もいたが静かな湖畔で癒されましたよ。
夕飯は「すき焼きもどき」です。料理好きな松さんに全て任せ、自分は待つ人となりました。
勿論、卵は欠かせません。牛肉もそこそこのグレードで奮発してます。
これでマズい筈がありません。明るいうち(16:00頃)に着いたので、闇鍋になる事なく頬張ってます。
今回デビューしたワークマン製の折り畳み椅子。これが本当に楽ちんでハンモックみたいな心地です。
翌朝、さほど夜露が下りなかったのでテントをそそくさと畳み、松さん思い出の会津柳津駅へ7:00着
赤べこの故郷らしい。駅横には蒸気機関車が綺麗に保存されており、無人駅ながらそう感じさせない。
地元の有志(塗り鉄?)なんだろうね。どうりで綺麗なわけだ。ありがたいねC11さんよ!
この信号も設置されており、ノスタルジックな雰囲気を醸し出している。イイ駅ですなぁ~
列車が入線してきた。さっきまでこのベンチで会話していた2人組の声に聞き覚えが。。。誰?
あっ、その声、R角S児さんだ! 話かける間もなく車内へ。プライベートで来たのだろう。達者で!
喜多方市にある「長床」 新宮熊野神社で珍しい吹き抜けの豪壮な拝殿。大イチョウも有名らしい。
内部には壁も扉も無く、1尺5寸(約45cm)の円柱が44本建っている。「長床」とは僧が修行する場所
拝殿よりその先にある本宮を望むが見えない。新宮熊野神社は1089年建立といわれ東北一古いらしい
参道の修復には吉見町の石材屋さんが来ていた。聞くと1か月ほどホテル泊で施工してるとの事。お疲れ
喜多方の北にある「熱塩駅(国鉄:日中線)跡」 昭和59年(1984年廃止)洒落乙な建物である

今は「日中線記念館」として有志の方達で保存されている。松さん思い出の駅。大切にされています

「伝言板」懐かしいねぇ~ そうどこの駅にもあったなぁ~ 電話以外の唯一の通信手段? 黒板だぁ
国鉄キ287単線用ラッセル車 昭和13年8月に開業以来、冬期に活躍した 迫力あるなぁ~
その後ろに連結されていたオアフ61客車  内部には走行音響もあり、旅情に浸っている松さんが
おぉ~懐かしい! ジャパニーズ ナチォナル レールウェイズ(日本国有鉄道)の灰皿ロゴマーク
駅近くにあった「天神清水」という湧き水  味も香も無く綺麗な水でした
会津若松にある「さざえ堂(円通三匝堂(えんつうさんそうどう)」に向かうエスカレーター(笑)
1796年 飯盛山に建立 高さ16.5mの不思議ならせん状階段を備える六角三層のお堂
階段状で無く、滑り止めの角材が張られたスロープ状の階段を昇っていきます
天井には沢山のお札が。 江戸時代の庶民にとって一度に三十三の観音像を廻る事が出来たので貼った
一方通行な螺旋階段は、人気な観音巡礼に対応して設計されたモノだそうで理にかなっている
R121を南下し、スマホで検索し飛び込んだお店。古民家風な内装が良く、おまけにそばも美味かった
お店的な造りじゃなく、一般民家を改装しているが、建具の黒色や漆喰の壁等、個性を醸し出してる
チョット多いかなぁ~と感じたけど、あっさりさっぱりペロリと食せました。丁度いい量です
会津田島のヨークベニマルで夕食の材料を買い込み、これからテン泊地の奥只見へ向かいます

細い急カーブが連続する奥只見湖畔を進むと、やがていつもの荒沢岳の雪渓が現れる

最初に訪れたのは40年ほど前かな。夏でも溶けない雪渓に驚いたもんだった。量は減ったな
雪渓をバックにポーズをとる。ん~自然の大きさに圧倒されちゃいます
標高が高い事もあるので、すでに薄の穂がたなびいてる。もう秋なんだね。ここは
奥只見湖は入江が多数あり、松さん曰く「船で入り込むと迷子になりそうになる」そうだ
銀山平のキャンプ場では多くないテン泊の間を借り、早めの夕食を作り始めた
ベニマルで買った生海鮮類を焼き上げる。このサーモンの厚み、まるでステーキです
出来上がると、いつものウイスキーと合わせ、静かなる宴の始まりです。ここも静かで良かったなぁ
奥只見シルバーラインは、ほとんどがトンネル(18㎞/22km) 途中、知る人ぞ知る出口があります
登山者や釣り人が勝手にシャッターを開け、外に車を駐車していいそうで。トンネル途中でしょ!
かなりのレア情報なんで、驚きました。でもバイクでは来れません、シルバーラインは通行禁止です
R291から大沢トンネルを抜け津南へ。太公望の松さんが何でもないような川に竿を垂らしてみると
ものの10分たらずで岩魚を釣りあげ、リリース。ルアーを変えながら挑戦するもその後の釣果は無し
秋山郷にある福原家の総本家。約230年前の築で中門造りの民家。自分で電気を点けて見学する
囲炉裏のある居間もそのままに、江戸時代後期の生活の様子をうかがう事が出来る
この土間のたたきが何ともイイ雰囲気を醸し出している
どうやら電気は昔ながらのむき出し線を流れているらしい。自分んちにもあるけど、もう使ってない
玄関は杉の皮を張り付けた豪雪地帯仕様になっている。ちょっと前までは陸の孤島と呼ばれた秋山郷
R405を南下すると右に鳥甲山(2037.6m)が望める。この東壁は切れ込み厳しい絶壁になっている
その昔、3度の火山活動を繰り返して今の山塊になったらしい。また赤倉山とも呼ばれていたと
確かに赤いなぁ~ 今にも崩れそうな迫力のある山
豪雪地らしく、この暑い夏の最中でも残っている雪渓。 デジカメの望遠も捨てたもんじゃない
R405から中津川を隔てた鳥甲山麓を走っている県道507のスノーシェイドが見える。よく作ったもんだ
これ国道です! センターラインも対向車も無い。正に酷道呼ぶにふさわしいかな
切明集落で「きのこカレー」を食し、今や全線舗装になった雑魚川林道に入る
昔、人命救助をした大滝(おおぜん)入口。たきの字が変ったなぁ~ 落差25mで迫力ある
渋峠到着。あれっ国道最高地点って麦草峠(R299 2127m)じゃなかったけ?  ここ国道だったっけ?

2泊3日にわたる古民家・ローカル線・テン泊・グルメ?ドライブと盛り沢山の紀行でした。

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