’93 RUSSIANーRALLY 参戦記

バイク雑誌で、旧ソ連しかも極東(沿海州)を走り回れるラリーがある事を知る。
キャッチフレーズが「旅以上冒険未満」ん~そそられる。ゴルバチョフ大統領が出てきて、ペレストロイカのひとつだと思うけど、ここんところ解放があちこちで進んでおり、ロシアにとっても最重要であろう沿海州地方も開かれてきたという事みたいだ。
主催は日本側なので安心だし、何にも無い平原、いやグレーに近い風景の中を思いっきり走ってみたいし、ロシア(ソ連)という国にも興味がある。
数日間は悩んだが、腹を決めた。滅多に無いチャンス! これを逃したら行けるかわからない。

申し込み後は忙しかった。
東京にあるロシア大使館に行き、ビザを取得したり、バイクの整備をしたり・・・
これがロシアのビザ。パスポート記載のものじゃなく、紙1枚の使い捨て?タイプだ。

4/28朝、新潟に向かいR17を北上する。途中、信越本線の駅で一休みし、新潟山ノ下埠頭には15:00に着いた。

着くと主催者側で車検をしており、エアクリーナーの中まで調べられる(一応、密輸防止のためだそうだ)そこで、ゼッケンプレート(ナンバー45)を渡され、フロントカウルにリベット留めする。
問題無く車検は終了し、その晩は埠頭にほどなく近いBHカワイに投宿。

昨晩お世話になったBHカワイでは、同じロシアンラリーに参戦する三重のK氏も泊まっていた。

翌29日は9:00~15:00までラリーに参戦する二輪・四輪の積込みに時間を取られた。二輪はJRサイズのコンテナに4~5台を詰め、クレーンで引上げ甲板でコンテナから降ろす作業で、四輪はそのまま引き上げられ甲板へ。
二輪は「オルノバ号」、四輪は「ネジダノバ号」に載せられ、これから約40時間の船旅となる。
この2隻は、ロシア船籍の客船。名前はソ連の女優から取ったもので、普段はウラジオストクから北朝鮮・中国へ航行してるらしい。今回は、極東船社からのチャーターらしい。

オルノバ号での船室は4人部屋だった。
主催者側での配慮で、埼玉在住で集められたようだ。三重のK氏や他県の連中も酒を片手に連夜来ては宴会になっていたけど。
船室にはトイレとシャワーが一緒になったスペースがあり、小さいゴキブリがいて決して清潔とは言えなかったが、ベッドメイキングだけは毎日してくれていて、その点はホテル並みと言えた。

船内にはバーもあり、毎夜ショーが開かれ、ロシア人バンドがビートルズやスティービーワンダーを、ソロの歌手がトロイカやロシアの民謡、更には日本語でブルーライトヨコハマを歌っていた。このショータイムは盛り上がった。

食事は毎回、船内のレストランで取る事がほとんどだった。
堅い黒パン、サラダ、肉、スープ、ぱさぱさの飯、ジュース、それにコッフェ(コーヒー)がチャイ(紅茶)が出る。
チャイは正に紅茶そのものだが、コッフェは黒砂糖を溶かしただけのような異様な味だった。
毎回、ロシア人ウエイトレスがゴージャスな料理を運んできてくれる。因みにビールは日本製で350mlが250円で売っていた。

5/1ウラジオストク着。入国審査や荷役作業でバイクがロシアの地に着いたのがだいぶ遅れて16:00になった。日本との時差は2時間遅れとなる。
ここウラジオストクは、まだ開放されて3年。あっという間に人だかりが出来、好奇の目で見られているのがわかったほどだ。
ここでロシア人パブロ氏と話しをした。 彼は仕事で日本に何度か来ているらしく、この日も別の船で来ていたのだった。何の仕事をしているかはロシア語が通じないので不明!

今回、ロシア人ライダー2名が参戦。右はフェリックス、左はビッズイー、二人ともウラジオ出身だそうで、フェリックスはヤマハのXT250、ビッズイーはDT125だ。マシンはボロボロだけど、速いわ!
彼らはきっと金持ちなんだろう。だって日本製のバイクなんて中古でもなかなか手に入らないらしいから。

これがロシアだよ! こんなダートを100Km/h+αで走れるなんて天国だ!

原野を走り着いた街はウスリスク。
ウラジオストクから北上し、ラズドルノイエから入った。

街の中央広場には、レーニン像?がある。

ウスリスクには、日本の公団のような団地が沢山あるが、人はあまり見かけない。
市庁舎前広場にて。若い軍人さんと写真を撮る。モージナ バース フォトグラフィラヴィッチ?

市庁舎前には一般の市民が沢山集まっており、トロイカやカチューシャをアコーディオン生演奏でおばさん達が合唱! いやぁ~歓迎ムード満点です。

この日は、ウスリスクのぼろいホテルに投宿。ゴキブリは出るわ、階段は崩れてるわで驚きました。 でも、沿道で人々が我々を見て手を振って挨拶してくれてる姿を見ると、ぼろいホテルなんて許せちゃうな。
本日の走行:ウラジオストック → ラズドルノイエ → ウスリスク 193km

5/2 ウスリスク校外に出ると大平原が広がる。

勿論、ロシアは右側通行。慣れないと交差点で曲がった時、左側に入ってしまうと正面衝突だよ。

道端にはこんなオベリスク(記念碑)が数多く存在する。社会主義国は大きい建造物が好きなようだ。

日本でいう林道みたいな所で出会ったサイドカーコンビ。 マシンは旧ソ連製のようだ。
ロシアにはこんなサイドカーが色とりどりに塗られカラフルである。 しかし右の親父が被ってるのは昭栄のヘルメットだよ。一体どこで手に入れたんだろう?

絵を見てわかるがガソリンスタンド在り、しかも11km先!

来てみると無人?っぽい。 セルフサービスか? ちゃんと小屋もある。しかし殺風景だな。

朝、参加者に配布される昼食。堅いパン(たまにはサラダが挟んである)、チーズ、そしてジュース。ジュースが王冠で封がしてあり、車載工具のプライヤーで開けた。栓抜きなんて持ってないぜ。

コース途中で休んでいるとソ連製のバイクにタンデムしてきた少年?が近づいてきた。
何となくわかるが「ステッカーをくれ!」と言ってるようだ。 「ニエット(無い)」と答え、たばこをあげた。彼等の被ってるメットを見ると日本のメーカー等のステッカーがベタベタ貼ってあった。 きっと昨年の参加者があげたので、また今年もたかりに来たのだろう。

牛の放牧は至る所で出会う。こんな時は渡り切るまでやり過ごす。

川渡セクションも至る所に設置されており楽しい! この川はかなり浅いほうで、深い川だとエアクリーナー近くまで潜る。
この左の白いランサー。青いサイレンを付けているパトカー(覆面?)立派なミリッツァ(警察車両)である。 履いてるホイールもすごい!日本から輸入してそのまま使ってる事がわかる。

道路(ダート)脇に、よく見られる植物。おそらく大地がタイガ(永久凍土)ゆえのものなんだろう?

通り過ぎる集落の子供達が、我々の姿を見つけるや否や手を振ってくれる。

道端で一服してると、どこからともなく集まってくる。ようように話かけてくれるのだが言葉がわからん。でも時間が経てば何となく通じるかな? ヘルメットを被りたい!って言って?たのでリクエストに答えた。笑顔の良い子達! バラバッシュにて。

また、サイドカー(カップル)に出会った。お互いのマシンを興味深々に見る。「どうだ!跨ってみるかい?」と素振りをしていたので遠慮なく。 タイヤの空気圧が低いんじゃないの?と尋ねると、「ニエット、プロブレマー(問題無いよ)」だって! その後、尻を振りながら勢いよく発進していったよ。

街の入口にもこんなオベリスクが必ずと言っていいほどある。 これはスラビアンカという街。

スラビアンカの市民広場では、いつものように歓迎レセプションで迎えてもらった。 おそらく市長?の挨拶、そして子供達のダンス等で大歓迎だ。 このステージは翌日スタート台として使用される。 そんな一所懸命歓迎してくれた子供達には、ラリーの主催者側から日本のアニメのビデオがプレゼントされたそうだ。
本日の走行:ウスリスク → ラズドルノイエ → バラバシュ → スラビアンカ 305km

5/3 スラビアンカより出発の3日目、いきなり大きな川渡り、エンジン中央付近まで水位があり、ルートを選ばないと水没する。ここで何人か泣いたらしい。ロシア人ライダーのフェリックスはFフェンダーの無いXTで難所を何なく越えていった。

抜いたり抜かれたり繰返した埼玉ライダーとの昼食。

舞台がロシア沿海州だという事がわかる絵。軍関係の小型船と少年たち。

コースには150km毎に給油所が設定されている。 給油所といっても地軍関係の供給車だ。 
全輪(6輪)駆動車! こんなゴツイマシンじゃないと過酷なロシアの道路は走破出来ないナ。

このマシンを操作していたのはボランティアの人達。女性と子供は近所から見学に来てた人。

給油所には地元の明るい兵隊達も駆り出されていたようだ。 車内には家族の写真が飾られていた。

給油所では日本のバイクに興味のある人が多く。「跨らせてくれ!」って代わる代わる・・・
中でも、この親父は「自分のカメラと俺のカメラの交換を要求」俺のニコンと訳のわからないロシア製のカメラの交換なんてありえないぜ。強い調子で「ニエット!ニエット!」と断ったよ。

レトロな表情のトラック。こんな雰囲気の車が数多く走ってるロシアは、30年位遅いか?

満タンにして幹線道路に出ると、アムールタイガーに注意!の看板が! 虎が出るらしい・・・

バラバッシュからスラビアンカに戻る途中で出くわしたシベリア鉄道の踏切。
これを右にひたすら行けば、モスクワに行ける。そう思うと感慨深いものがある。

道端で一服してると、背後から爆音が・・・。暫くして現れたのは戦車でした。結構速い!
甲板から顔を出していたので手を振ったら返してくれたよ。笑顔だったような? 平和だ!

本日の走行:スラビアンカ → ベズベルホ → バラバッシュ → スラビアンカ 170km

5/4 この日は北朝鮮・中国国境に近い街 ザルビノを目指す。
幹線道路でありながら、ヌタヌタ泥、砂浜有、タイヤの溝が深くてもいう事を聞かない位。

途中、クラスキノという集落を通り抜けようとすると道の真ん中に子供が! 
ゆるり停まると、その子供がリアウインカーを力ずくでもぎ取り逃げやがった。
気を取り直して走り出すと、今度は小石を投げたり、角材で叩かれたり・・なんてとこじゃ。
どうやら同じ目に遭った連中も。何でも外人が入るのは初めての事なんで慣れてないとか。

この大平原から中国国境は近いらしい。遠くに見える鉄橋の先を行けば・・・(やだね!)

周りに何も無い大平原で昼食(鶏肉)にむしゃぶりつく。背後に気を遣いながら?

海岸線(日本海)を走ってると、防空壕らしき跡があった。日露戦争時代か?

泥がこびり付き、エンジンで焼かれると取れにくくなる。まるでMXでもしたような。

本日の走行:スラビアンカ → クラスキノ → ザルビノ → スラビアンカ 263km

5/5 今日は最終日で、幹線道路のみの移動。

シベリア鉄道には、タンクが沢山載っている。
この列車、我々が手を振ったら運転士は列車を停めてしまった。
「やばい」と思ったが、運転士は話かけてきて雑談している。なんてのんびりしてるんだ!

これが国道! 舗装されている部分なんてほんの少し。大半はこんなフラットダート(天国)

そして、ウラジオストクに到着。すごい都会に感じる!

本日の走行:スラビアンカ → バラバッシュ → ラズドルノイエ → ウラジオストク 300km

ロシア人カメラマン?による写真。 走ってるライダーをランダムに撮り、船のロビーで300円で販売。自分は撮れないので、結構売れていたようだ。上手く商売してる。ピンボケなんで買うつもりは無かったけど、同部屋の人が買ってきてしまったので買い取った。

我々と行動を共にした”オルノバ号”の煙突にて。ソ連時代の国旗が取り外され、煙突は白・赤・青のロシアカラーに変えられていた。

ここはスラビアンカの造船工場。ここに停泊し、我が家として役に立ってくれていた。

5/6 ウラジオストク観光
ヨーロッパ風の建物が多い、ウラジオストク。人口70万人、緯度はほぼ札幌と同じ。
名前の由来は、ウラジ(東方)ヴォストーク(征服)から名付けられている。正に極東。

シベリア鉄道の東端になるウラジオストク駅に停車していた機関車。味わい深い色!

このバスで観光したのだが、エンジン音は騒がしいし、乗り心地は悪いし、ソ連製かな?

レニンスカヤ通りのすごい渋滞。しかし日本車が多い。おっと~右のトラックは「平松」、この車、昔近所にあった運送会社のかな? また左のランクルは左ハンドルだ。きっとお金持ちに違いない! 直に日本から輸入したものでなく、アメリカやヨーロッパ経由で手に入れたものだから。
”漢字”は日本車を証明するもので、ステータスになってるらしい。だから敢えて消していないとか。

街の路地にはキオスクがある。ソ連が発祥らしい。防犯用の小さな小窓しかない。
売っているものは食料品が多いが、飲料はペットボトルは無い。まだガラス瓶が主流。

ロシアではカシオ製の腕時計が大人気らしい。50,000ルーブル=約6,500円
月給が4,000円だというので、日本で例えればローレックスか!
街中では、ピンバッジに根強い人気があるらしい。スターリン、レーニン、社会主義時代を象徴するものが今は人気だそうで・・・

貨車に積まれた韓国DAEWOO製のバス。これも物々交換じゃないよな?

なんか市場で使われてそうな三輪車。この汚れ具合が雪解け中の北国らしい?

ウラジオストク港。言うまでもなく軍港である。ペレストロイカ以前は外国人は入れなかった。
現在でもシロア太平洋艦隊の基地らしい。港は11~3月まで氷結するが、砕氷船の使用により
冬期も可能らしい。近くにC-56潜水艦博物館があったが休館で見られなかった。残念!

ウラジオストク駅をバックに。手にしてるのは土産の「マトリョーシカ」。包装はポリ袋!

楽しかったロシアンラリーも終盤が近づいた。新潟への帰路では、ウォッカ漬けだ!
部屋での宴会では、パリダカのカメラマンであるY氏。そして往年のMXライダーY氏(ブランドもある)。そんな普段では巡り合えない方々もこのラリーに参加しており、一般人の我々に気さくに接してくれた。
それと、ロシアの新進気鋭?の歌手やロックミュージシャン、アメリカや日本の楽曲を演奏してくれ、それがまた素晴らしい!
(ロシア民謡も個人的は大好きだ)
そんな人とのふれあいも今回のラリーのテーマだったと感じる。
また、機会があったら参加(参戦)してみたい。