不二洞

久し振りの林道ラン。
十石峠を目指して黒川林道を快走。 すごい霧で、すぐビッショリだ。
人家の脇で正体不明の物体を発見! 祠?

老朽化が進む十石峠標。

いやはや迫力のある看板(上野村 砥根平のバス転回場で)

いつもR299で上野村を通る時、気になっていた「不二洞」、今回初めて訪れて見る事に。

【不二洞】
・約1200年前(奈良時代)に、近くの住民が岩場に群がる猿を見て穴を発見した。
猿はこの穴(鍾乳洞の入口)で、夏涼しく、冬は暖かく過ごしていたらしい。
この時、住民はこの穴の大きさを調べてみたが、当時の技術ではうまくいかず、わからずじまいだった。昔、不二洞は「猿穴」と呼ばれていたらしい。
・その後、江戸時代になって上野村周辺は台風によってもたらされた疾病により、多くの死者を出した。この時、修行僧:悦顔はこの疾病を鎮めるために、経を河原石に書き(一部、漆で書いた石は現在、売店に飾ってある)、穴に潜って祈願した。 そして疫病は無くなった。
・昭和37年、上野村の村長はこの穴の全容を知るため、群馬県玉村町の山岳家に探検を依頼し、ザイル等を持って現在の姿が知れたとの事。この時、およそ200年前の悦顔上人の人骨が横穴付近で発見され、今も祀ってあるそうな。
・そして国に指定天然記念物として申請したところ、既に国の指定になっている近くの「生犬穴(おいぬあな)」があり、一村で一つ以上の指定を受ける事が出来ず、規模の大きいこの猿穴が県の天然記念物になったという(昭和40年)
・なお、この生犬穴の名前の由来は、現在絶滅してしまったニホンオオカミが、この地方に数多く住んでおり、この穴に入っていろいろな動物を食べており、発見した際、この残骸が多数発見されたからである。
・スケールは不二洞より小さく、しかも穴の周りや中ともに粘土質で縦穴であるため、現在見学は出来ない。
・不二洞の名前の由来は、悦顔上人が二度と疫病が上野村に無いようにと名付けられたらしい。 そのせいか、中の鍾乳石には仏教にちなんだ名前が名付けられている。
・とにかく関東一の鍾乳洞というだけの事はあり、スケール、演出、総てにおいて一見の価値あり。
これらの内容は不二洞を案内していた上野村観光協会会員の黒沢氏による。